鈴鹿8耐とは
鈴鹿8時間耐久ロードレース=鈴鹿8耐は、夏に鈴鹿サーキットで開催される日本最大級の2輪耐久レースで「真夏の祭典」とも呼ばれます。
真夏にライダースーツを着込み、チームメイト2~3名と交代し8時間で何周できるか競うレースです。
マシンは市販車ベースになります。改造制限は厳しめです。
市販車の性能が、勝ち負けに大きい影響を与えるため、メーカー側もスペックの高い市販モデルを投入してきます。
Honda CBR1000RR-R FIREBLADE SP
Kawasaki X-10R
Kawasaki Ninja ZX-10RR
YAMAHA YZF-R1
SUZUKI GSX-R1000R
などなどです。
ちなみに、鈴鹿サーキットは、ホンダがマン島TTレースを制した年に、ホンダにより開場されました。1961年 (昭和36年)
鈴鹿8耐とヨシムラ
・若くして航空機関士になるも、「神風特攻隊」の先導飛行の任務に任命されたことに苦悩し、博打と酒におぼれた時期も。
・米兵のバイクを改造したことから、ヨシムラモータース開業へ。また、ポップヨシムラと親しみをこめ呼ばれるようになる。
・1964年 (昭和39年)MFJ鈴鹿一八時間耐久レースで、ヨシムラは18時間で311周、2位に7周差で圧勝し、ホンダに誘われる。
・東京移転後、100人以上の弟子が辞めていくなか、モリワキは、ヨシムラの技術を吸収していく。(娘の南海子と結婚)
・ホンダからのパーツ供給が止められたことにより、ホンダとヨシムラが決別。
・集合管を二輪ではじめて実用化する。
・アメリカ人と共同で会社(ヨシムラ)を立ち上げるも乗っ取られる。
・再度渡米し、YOSHIMURAをたちあげ、ヨシムラをつぶすも、工場が火事になり、受傷する。
・鈴鹿8耐をホームとするホンダ、さらに4サイクルエンジンを〝お家芸〟とするホンダ、従業員2万のホンダに、ヨシムラバイク従業員8人で戦いを挑む。スズキGS1000で。
結果、マイク・ボールドウィン操るスズキGS1000が圧勝した。
・AMA(アメリカン・モーターサイクリスト協会)。ここに名前が刻まれている日本人は、本田宗一郎と吉村秀雄の二人しかいない。
・「とにかく困難に挑戦して、それをやり遂げる。そのときのうれしさというのは、ちょっと比類がないですね」